打ち切られたドラマ「家族のうた」をミタ、オレ。

まず、このドラマ「家族のうた」。打ち切られたのでミタ。
本放送のときは、家にいないかWOWOWみてるから。まず見るはずがない。たとえどんなに評判をとってるドラマだろうとも。はっきり言って見ない。
話題になったドラマはレンタルDVDで半年後に見るパターンになって久しい。
これは落ち着いて見れるし、CMにいらつかないし、CM挟まないので若干時間も節約。

それでこのドラマ、いとこが見もしないのに空前の低視聴率ということで2話から録画してたので、DVDにコピーしてもらい、今週から見ている。

打ち切りは不当。という意見をネットで見た。
フジてれびの会社の都合が優先されて視聴者さえも切られた、ともいわれてるらしい。
が、会社からするとハズカシイ程の低視聴率だから早くしまえ、ということでしょう。
しかし、出来が良くないとか、見るに耐えないでたらめなドラマでは断じてない。この「家族のうた」ってドラマはね。
不まじめ、ふざけてる、手抜き、いかげんなくだらん番組は視聴率のわずか3ポイントの違いで威張ってるのだから、テレビはもはやダメだね。腐ってます。

で、不当かどうかわからん。まだ最終話みてないので。
ただし、6話まで見た感じ、なぜ低視聴率だったんかなぁ?
視聴率に関係するリアルタイム視聴者に嫌われた理由がわからない。

最近のジャニーズばっかり出てるドラマ、へたくそな謎解き・パズルなり損ねミステリー、警察・刑事・犯罪モノ。まぁこんなのばっかし見るほど暇じゃない。
話題になったドラマを半年後にしか見ない、そんな私はTVドラマのメインの視聴者でない。
だけど私は面白く見ている。

キャスティング悪くないでしょう。
小ネタ、くすぐり、楽屋落ち、筋に関係ないギャグが多すぎる、そんなドラマも好きだけど、「家族のうた」はドラマの筋はちゃんとあるし、あそびも結構イカしてる。
カレー屋Nanjaに寄ってくる客。早川正義とすれ違う有名ロック・ミュージシャンの本人での出演とか。東京スカパラダイスオーケストラのメンバーが次々と来店する2話目のギャグは笑ったぞ。
それとリリィさんがおばあちゃん役でよく出演したよな。
nokko遠藤ミチロウのチラッと出演。おかしいぞ(笑)。
早川正義に当てつけたダイヤモンド☆ユカイのポスターとか。

それになんといってもオダギリ・ジョーのセリフ、演技が久々にTVドラマのくせにハラハラさせられた。
しかし、こういうのいたんだよ。ほんと実際。70年代後半から80年代はこんなヤツばっかだった。なので私からするとオダギリ・ジョー演じるところの「早川正義」は昔のダチであり、確かに20年前の自分であり、私(私達・我々)にはリアリティがある人物。
しかし、今のドラマを見てる人にすれば。信じらんない人物だろうな。まず近くで見たことないだろう。ドラマの舞台が下北だけど、20年前下北のアパート、高架下、レコード屋、おでん屋、珈琲屋、古着屋、ゾッキ本を売る店、無国籍レストラン、居酒屋、そして・・・公園、街角、路上と言わず、電信柱、電話ボックス・・・エトセトラ。
いたるところにいたんだよ。
ツムラくん、イタガキくん。ユウジ。サカイバラさん。タカちゃん。なぁ。

多分当時の誰もが付き合いづらいと間違いなく思ってたけどね。「自分のことしか考えてない」という点で自分によく似た野郎なんかとつるんでるのは。
だから90年代以降、人のために生きること、他人を思って生活することが尊ばれるようになり、70・80年代とは違う意味で自分をなくして生きている。まぁ自分なんか他人や環境にアジャストすることで見つかるもんだ。人間とは、自分とはそういう存在だとなっちゃった。80年代は自分は見つからなくてもバブルが「自分ら」「俺ら」「私ら」ってやつの幻想なんだけど連れてきた(連れてきた連中にはオウムとかシューキョーがあったりした)。
21世紀の今は自分はなくても他人のために生きればそれでいいとかなんとか、ウソだろう。どっちも。そんな場合は自分の本音など出てこないわけだ。本音さえもうどうでもいい時代。80年代の若者には想像もできない人と時代になっている。

本音も今じゃ居所を変えている。
そもそも自分がなければ、こだわる自分を持ってなければ、「本音」というのはあり得ないでしょう。

早川正義みたいだと本音を発する「自分」を見つけっちゃってるから。ああなっちゃう。
行動基準、価値基準が自分の本音に照合される。他人がどう思い、どう感じようとも関係ない。安易な共感つまり他人と自分が同じという錯覚を持てない。
自分があるから。自覚がある、そう。「自分覚」ね。

人と自分がそうカンタンに同じになれるわけがないと、感覚でわかっている。
これは、ボクラが世代的に持っているものなのかもしれないが、「人と同じじゃない。どこまで行っても他人と同化することはない」というのをローティーンのときに経験で思い知る。さまざまな経験で思い知るとは思うけど、進学・受験を経てだね。
ボクラは平等じゃない。そして同じじゃないし訓練で均質になれるものでもない。
なれなかった。均質にする教育にボク(ボクラ)は慣れなかった。

スポーツをやれば能力の差がわかるし、適性も知る。
同じ授業を受けて同じテストを受けて明らかに性能の差を思い知る。
だから、本来的に自分を持たないことには、生きていけなくなる。拠り所は自分。
それの支えがRock。まぁストーンズでもいいけど、これは今の視聴者には通じないだろう。
ストーンズもミックもキースも誰それ?なんじゃないの。

日曜日のゴールデンタイムじゃなくて金曜深夜のドラマなんだよね。
子供が出てるから深夜帯は無理?だったのかね。

http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/001/001/15/N000/000/001/RollingStone001.jpgとにかく、「家族のうた」ってドラマは私なんかが見て面白いドラマでした。
ただ、今どきいねーぞ、早川正義。大方にとってわかりにくい人で、人物背景も難しすぎたね。
今の若い人ロック知らないし、聞かないし。
キース・リチャーズジャック・スパロウのオヤジだよん。

あとここまで書いて頭をよぎった。「20世紀少年」のケンヂが。
しまった、1巻目を手にしてしまった。