貴重な映像を半永久的に共有

かつてYouTubeにアップされたが削除された映像の数々をアーカイブ
大変貴重な映像がパタパタと削除されてる。
過去このブログで引用した西田佐知子とかちあきなおみとか、もうない。
別の映像はあるのだけれど、記憶と一致している意味のある(私にとっての)貴重なものなので選んだわけで、前はあったのに今はないというのは口惜しい。
やはり横着せず手間ひまかけてセレクトしながら、一つ一つを保存しておかなければならないということだろう。
そこで、Deleted Tubesだ。

話は飛ぶけど、カラー35ミリフィルムのカメラが普及し、バシバシ日本中であらゆるものが撮影され始めたのが昭和30年代。とにかく家族などの被写体とともに、ありふれた街角や路地、約60年前の家屋や室内が背景として連綿とそこに写っている。
こうした写真がどれほど風俗資料として価値があるか、社会学の資料としてどれほど貴重なものか。
50年前のどうでもいいような田舎の観光地、しけた温泉宿はもちろん、わざわざ写真に撮って記録を残しておこうなどと考えもしない、赤ちょうちんでの乾杯シーンとか、孫や子供を連れて出かけたデパートの屋上でのスナップには、重要な情報が写り込んでいるのだからして。
どんな服を着てたか、何を飲んで何を注文してたか。男女の割合組み合わせは、年齢は。そして飲み屋の壁に貼られたメニューとその値段は。
かつてあったデパートの屋上とはなにするところか。アドバルーンとはどういうものか。アーケード型のビデオゲームが出現する前、子どもたちにはどんな遊戯、遊具があったのか。
そろそろ忘れてきていることばかりである。
すべて家族のために撮影された写真にちゃんと記録されている。
こうした写真は父ちゃんがとったものが殆どで、悲しいかなだいたい父ちゃんは母ちゃんより先に死ぬ。そして古い写真を愛し保存してきたのは、これも父ちゃんなので、彼らが死ぬと古い写真に愛着が薄く(薄情な)母ちゃんはそれら(学術的価値のある)風俗資料の山をだいたいゴミとして処分する。
母ちゃんは自分や家族のバストショットを価値あるものとし数枚残し捨ててしまう。
知らない人が写ってる温泉場の風景など無価値。

これはたまらん。日本中いたるところで毎日捨てられてると思うとね。

自分が死んだあとの写真の行方を心配しても仕方がない、ともいってられない。
今年はだから捨てられそうな・削除されそうなYouTubeの風俗資料を保存していくことに力を注ぐことにしたぞ。
特に日本歌謡史を中心に。
ということで、これどっかで取り上げたような気がするけど、しかも歌謡史とも違うし。

映画「放課後」(1973年)のエンディングとのこと。
このては削除かからないようだが、保存しとこう。

長が〜い黒髪。ちょっと開いたままの口元(しまらないわけじゃない)。
スラっとし過ぎないボリュームを残したままの太ももとか。
美人じゃないけど目をそらせない顔立ち。
テニスシーンはどうでもいいけど冬服のセーラー服姿こそ、栗田ひろみ
こうしたものを再発見できるネット時代に個人的に感謝し、共有財産として大事にしましょうよ。