知覚のエンカ・『北島三郎』:ソウル(魂)の来し方

前回、Akicia Keysをアリシア・キースと書きましたが、訂正します。キーズです。記事のほうは直してません。お詫びして訂正せずそのまま。
なお、30歳としたが、これもアリシア・キーズは今年29歳になったところだからフライングである。スマヌ。


アレサ・フランクリンアリシア・キーズ。二人の年齢差は40年、たまたまボクはちょうどこの間にいるのだが、そんなことは二人に関係なくて、まったくもって幸せなことである。
それに比べるとニッポンの歌謡曲の土台は枯渇しそうだ。今のところ期待と可能性をいだかせるのは、ジェロ君ぐらいか。
演歌歌手からの出発でかまわないけど、早くワールドな歌を歌ってほしい。と思う。


アメリカにジャズあり、フランスにシャンソンあり、ニッポンにエンカあり」とは親父さんこと大御所・北島三郎の言葉である。基本的に北島三郎は本人の言葉もあって演歌の代表と認知されているかもしれないけど、単なる演歌歌手ではない。もはや。もう20年位前からエンカじゃなくなっていると思っている。
確かに演歌の持ち歌も多い(だろう)。CDとかショーでは演歌を歌っていると思う。しかしそれはほとんどの人に知覚されていないだろう。
知覚される北島三郎とは、まあボクの知覚がということだけど、ここ20年は年1回の紅白歌合戦での北島三郎である。NHK・BSでは過去映像が出てるかもしれないが、生さぶちゃんは紅白だけである。見逃すと1年お会いできないような状況である。


今年72歳。現役の歌手であること自体稀有のことだが、懐メロを歌う過去の人でない点が特徴である。
生年は1936年。昭和11年は2・26事件の年だから、日中戦争大東亜戦争、無条件降伏・敗戦のなか成長し、函館から上京した占領時代に「流し」(これは歴史用語か)をして過ごしている。しばらくデビューを模索する時期を経て1962年に「ブンチャガ節」でデビューするも売れず、しかもこの曲は「放送禁止」(どこからか禁止を命ぜられてやむなくではなく、放送局が自主的に「不適切」として自粛すること)になっており、2枚目の「なみだ船」のヒットが歌手としての出発となった。

1965年、「兄弟仁義」「帰ろかな」「函館の女」というその後の北島三郎の特徴を決定的にする3曲がリリースされる。どれも代表曲になっているが、なかでももっとも演歌らしい曲「函館の女」でも、「演歌の代表曲」というわけではない。「兄弟仁義」のヒットは東映仁侠映画になった。60年代後半にシリーズで量産される。
デビュー翌年の1963年、第14回紅白歌合戦に初出場。そのとき歌ったのは「ギター仁義」。これより2008年第59回まで通通算45回出場しており、現役・過去含め最多出場記録で、近年ヒット曲もないのになぜ出ていると批判されることもなく、また長老、年寄り感もなく、現役として周囲の認める存在。欠場した1986年はスキャンダルのあった年で、辞退した。これがなければ皆勤賞。ちなみにこの年は「北の漁場」が日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞しており、スケールのでかい曲を歌ってきた80年代の頂点を極めるとともにこけてしまったわけだ。紅白辞退も直前であり、なんとなく終わったなという空気がかもし出されたことを覚えている。
以降の北島三郎は大ヒット曲はないが(1991年に「北の大地」でレコード大賞演歌・歌謡曲部門を受賞:しかしこの歌はボクは聴いたことがない)、じつはソウルフルな歌手としてスケールアップしていくのである。


話を戻すと、「帰ろかな」、これは異色の歌で、デビュー後「函館の女」に始まる「女シリーズ」と仁義モノの中で孤立して歌われたような感じがある。が、1965年の時代背景を考えると集団就職の少年少女たちへのメッセージ・ソングとして歌われたと理解できるし、当時はそうだったのだろう。
異色なのは、この歌の歌われ方にある。また、「帰ろかな」が粉飾ぷんぷん、お約束事だらけののつまらない(あっ、いちゃった)演歌ではなく、ワールド・ミュージック・北島の最初の表現だったということだ(ボクの中では)。
ワールドスケールになるには1986年のスキャンダルと紅白辞退という事件がきっかけにはなったとは思う。次々と与えられたような曲をこなして歌っていく演歌歌手ではなく、もろもろ事情があったと思われるが、自身作曲を手がけセルフプロディユースするようになって、形式的な演歌からソウルフルな歌手になったのじゃないかと思う。
かつての人気歌手で、懐メロを歌う過去の人にならないのは、たとえばいつ何時「帰ろかな」と北島三郎が歌へば、いまここで歌っているというソウルが感じられるということだ。と思う。

演歌が嫌いなのは、いつ、どこの、誰のことを歌ってるの?という、うそ臭いお約束事をイキんで歌う、その形式主義に堕落した姿にある。もちろんそうでない演歌形式が聞き手に共有されてた一時期もあっただろうとは思うが、それでもムード歌謡というBGMと紙一重に存在していた。
ところが「帰ろかな」は歌い手・北島三郎がきっちり投影されているというか。


北島三郎を見るのは紅白歌合戦のときで、知覚されるのはかれこれ10年以上紅白に頼っているわけで、平成になって以降の曲目を見るとはっきりした特徴がある。紅白でのさぶちゃんが重要なのだ。
ここ十年で歌っているのは以下の通り。
1999年(平成11年)/第50回 まつり(3回目)
2000年(平成12年)/第51回 帰ろかな(4回目)
2001年(平成13年)/第52回 山(2回目)
2002年(平成14年)/第53回 帰ろかな(5回目)
2003年(平成15年)/第54回 風雪ながれ旅(4回目)
2004年(平成16年)/第55回 峠
2005年(平成17年)/第56回 風雪ながれ旅(5回目)
2006年(平成18年)/第57回 まつり(4回目)
2007年(平成19年)/第58回 帰ろかな(6回目)
2008年(平成20年)/第59回 北の漁場(初)


実に「帰ろかな」は3回(通算で6回)、「風雪ながれ旅」「まつり」が2回づつ、この3曲で7回。
逆に歌われない曲が「兄弟仁義」(NHK紅白だから?)、代表曲では「函館の女」(1966年(昭和41年)/第17回のみ)、「与作」(1978年(昭和53年)/第29回、1979年(昭和54年)/第30回の2回)、「北の大地」(1991年(平成3年)/第42回)。そして封印されていた「北の漁場」が昨年始めて歌われた。
今後「北の漁場」が歌われていくのか、それともこれが最後で、ひょっとしたら紅白にももう出場しなくなってしまうのか、なんとも意味ありげな昨年の選曲である。


「帰ろかな」は他の紅白持ち歌に比べ、難しい歌ではなさそうだ。ほとんど「NHKみんなのうた」みたいだ。だけど北島三郎のような「帰ろかな」は誰も歌えないようーな気がする。「与作」もおじゃる丸のテーマ曲「詠人」もその系列にある。
いいたいことはアレサ・フランクリンが歌うと平凡なラブソングが人類愛を歌ってるような名曲になるのと同じかな、ということで、本人は本物の演歌を歌うという心意気であっても、「北島さん、それは凡百の演歌、歌謡曲と一緒にしないで、あの歌はソウルだよ」と。


「帰ろかな」の発売当時、北島三郎以外の歌手が歌ってもOKの歌だったと思う。おそらく他の人だったら歌声喫茶の1曲、なつかしのフォークソングのような過去の歌になってたはずだ。しかし40年かけて6回も紅白で歌ったことで、スケールのでかいソウルフルな歌になった。
ただ残念なのは、演歌を超えたソウルな歌いっぷり、このバトンを受け継ぐ人がいそうもないことだ。「帰ろかな」と北島三郎は1代限りか。美空ひばりもそうだけど。


■とりあえず90年代の「帰ろかな」

もともとは「カラスなぜ泣くの」などの妙なアレンジははいっていない。無いほうがいいのだが、どうも1992年の紅白での3回目以降、このんなアレンジになったようだ。
歌詞も村の娘とか、やっぱりホの字とか、嫁も貰って親孝行とか60年代当時でもややシュールかと思われるフレーズが出てくる。下手な歌だと笑いそうなもんだが、そこをすっ飛ばしてしびれさせるソウルフル。


■「北の漁場」は2008年の紅白の映像がある。保存版に指定されるであろう。が、聞き比べても面白いかと思い。これを。
松山千春 「北の漁場」多分1980年代でしょう。

「まつり」、「風雪ながれ旅」と「北の漁場」はともに曲はなんとも仰々しく、凡庸な演歌とは別路線だ。この曲に北島三郎のボーカルがのってくるわけだから、カラオケで歌う人がいないというのもわかる。
松山千春が歌うから、北島三郎のなんとも複雑な難しい歌い方とは別の印象、ストレートに北海道の漁船が夜の海で漁をしている情景が浮かんでくる。松山千春の人徳か。北島三郎の場合はなんというかローカルな情景ではなく、やっぱりワールドというか、なんというか、200年(?)くらいの北海道の漁師の歴史を想起させるような・・・。
ただし、これも歌詞はニッポンの心・演歌の心とかあるわけない架空のうそ事とは無縁の限定的なローカルな事柄を取り上げており、情念とか酒、涙とかの演歌の約束事も関係ない。
どれも都市的な内容じゃなく、かつ演歌のテーマも扱っていない。さらに農村・農業を代表とする地方も歌っていない。現代の都市、地方のほとんどの人が共感し得ないようなかなり特別な状況の歌詞である。
特に「風雪ながれ旅」などは三味線奏者?旅芸人の話しだし、「まつり」も2番の歌詞は漁村であり、鮮明なイメージを持つ。1番は山の神、豊年まつり、土のにおいがしみこんだ手という歌詞から、農業のことを取り上げているのだが、盛り上がらない。2番の歌詞の海の男、船に五色の旗を立て、大漁祭りという鮮明で具体的イメージにくらべて、まったく弱い。
結果的に歌っているほうも2番がメインなってしまうだろう。


近年紅白で披露される北島三郎の歌と彼本人は、演歌じゃなくて他モノも。
大体演歌なんか聴いたこと無い多くの人にとって、こうした言い訳めいたことは必要ない。
なんだかすげーじいさんだな。で十分。