鷺沢萠のこと その2

そうそう、知人が不慮のことで、へこんでいて、仕事のゴタゴタもあったりして。
毎度のこと、なんかイヤになっちゃうわけで。3月前半はほとんど誰とも口を利かないような暮らしぶりで。


鷺沢萠、・・・読んでました。これがけっこうハマるんですな。30半で亡くなったので後期・晩年の作品という言い方が悲しい響なのですが、2000年以降のつまり30歳過ぎてからの作品は、(絶品)カッコつきで書くしかないけど。いまあまり読まれないのだろうか。

そういう自分だって良い読者じゃなかったが、今回初めて「ウエルカム・ホーム」を読んで、思ったこと。
鷺沢萠は前から思っていたけど、作品の中で女を書くときはひじょーにカライ。逆に「ウエルカム・ホーム」で改めて男を書く彼女は優しい。ということを再認識しました。
「失恋」という新潮文庫に入っている短編集は「恋」が終わってしまう状況を描く中で、当事者である女と男を公平に書き分けているのだが、女のほうのある種のどうしようもなさがテーマになっていて、その部分を書いているキツイ鷺沢萠と、男の事情、状況、そんな女と付き合う男の心境を書くときの彼女の眼差しには、なんともいえぬやさしさがあって、初期の頃とはまた違う意味で、男を書くのが非常にうまい。さらにうまくなってきていたからこそ、やはり惜しい。
文庫の解説を書いた小池真理子は「記憶」という短編を推しているが、ぼくはやはり「欲望」がこの中ではベストだと思う。この作品は登場する男と女の立場・状況を入れ替えて読むと面白い。ぼくは途中で気がついてそうしたのだが、入れ替えると普通の女のドラマにすらならない。これは男と女だからくっつき、後付の恋をするという約束事を逆転させることでドラマになっている。約束事が成り立たない微妙な設定を作っておいて、それぞれ考えさせ行動させると、お互いの個性というか性別を問題にしないパーソナルな部分で、相手を思い責任を負うことになる。それが安易な恋をしてくだらん思いをするよりマシなんだという、鷺沢萠の人生への考え方のひとつなんじゃなかったか。なぁと、そんな風に読んだわけで。

「ウエルカム・ホーム」ではそれが男と男の組み合わせで描かれている部分もあり(もちろんそれだけではない)、ここで登場する女性はまったくおまけみたいな存在感しかない。かなりかわいそうなんだけど。主人公二人の男の描き方はありそうな、ありえるな、という意味での小説的に十分なリアルさ、そしてほんと、よく知ってるなという観察力に対して、多分うなるでしょう。また女ならではのうるささ、鷺沢っぽい余計な書きすぎもあって、楽しめる。とにかく、男からすると、っていうかぼくからするとだね、「こいつ、いい女じゃん・・・」と思わずにいられないんだなぁ。
ここからの問題は、つまりなんで鷺沢萠はいい作家なのかと、取り上げる自分のこと、になるだろうね。

実際の彼女がどんなだったか、それは知らない。
実物の彼女は黙っていれば、ホント、イイ女だった。
それは実際フェアモントホテル(?)千鳥ヶ淵近くで見かけたことのあるボクも保障する。(あ、いや竹橋だったかも)

引き続き、このテーマ続く。でしょう。