おいおい、ほとけサマかっ!てなマディ:魂(ソウル)の来し方

■不明を恥じ入る
ちょっと調べればあっというまに得られた情報でした。
マディ・ウォーターズストーンズのメンバー(ミックとキース、ロニー+イアン・スチュアート)による"Baby Please Don't Go"のYouTubeのビデオのこと。
mudd waters rolling stones を検索するとちゃっかりこの前のミュージック走査センの記事がヒットしている。しかもそのすぐ下に、こういうブログhttp://blog.livedoor.jp/silver_train/archives/51143497.htmlが出てるものだから、恥じ入ってしまいました。


まず情報を記しておこうと思うが、1981年11月22日、場所はシカゴのチェッカーボードラウンジ。
at the Checkerboard Lounge in Chicago on November 22, 1981
マディ・ウォーターズは1983年4月に亡くなっているので、最晩年のセッションである。
このときの模様がビデオ録画されて、のちにCD化されてということだ。ジャケットはこれです。
これがそのシカゴのときの撮影なのかはわからないが、ほとんどほとけさま状態である。ありがたや、ありがたや。

タイトルには堂堂とローリングストーンズも明記されているがビル・ワイマンチャーリー・ワッツは来てないのでストーンズの名を出すのは詐欺ではないが正しくはない。
このCDに関してストーンズの名前を使うとかビデオ録画を音源にするというなんだか海賊版のようなやり方に、ミックとキースは口を出さなかった(らしい)。80年代頃はまぁ鷹揚だったよね、ということか。
ただ、キース・リチャーズについていえば、1981年というのはある意味ようやく真っ暗な闇から抜け出し、元気になった年であるのは間違いなく、マディ・ウォーターズのライブに飛び入り出演し、ビデオに撮られたうえCDにまでなっちゃうのも、「まぁ、いいか」で済ましたかも。


76年頃からずっとヘロインその他の薬物問題で、あと何年生きられるかとうわさされてた男である。裁判になり79年にやっと解決(判決は78年に出て有罪。条件付で釈放され、79年はなんだかみそぎのようなことして過ごしてた)。80年は2年ぶりのアルバム「エモーショナル・レスキュー」を出して、当時ぼくらは「まんまやないけ、キース!」とレコード盤に突っ込みを入れたわけである。
そして81年は有名すぎる全米ツアーの年。 Let's Spend the Night Together というタイトルで映画にもなった。
だから、その全米ツアー中にシカゴでマディ・ウォーターズのライブに出演ということ。シカゴでのライブは11月22日〜25日の4日間行われたようで、誰もがみな、マディ最後のステージになるという予感のもとにいたらしい。
webに英文の説明があるので興味のある人は見て頂戴。
http://stommel.tamu.edu/~baum/ethel/music/muddy/muddy.html


■Rollin'Stone  Muddy Waters [Newport Jazz Festival 1960]


ほとけ様然のジャケット写真に対し40代のマディ・ウォーターズ
8ミリフィルムじゃないかと思わせるザラリとした画面が、好きなんだな。