鳥肌もんの続き:魂(ソウル)の来し方

なんでか かなぁ、と近頃思出だすことがあるのだが。
二十代前半の頃、ローリング・ストーンズは別格で好きだった。彼らがイギリスの出なので、引きづられて英国ロックひいきなったのは、自分としては自然な流れのようにも思うし、70年代前半の米国のロックというのが、まだなんだかはっきりしなくて、カッコいい、Cool(という言い方は当時はしなかったけど)な連中は大方英国に多かった。
それが、いつの間にか聴かなくなっていた。そのことである。


もともとは英国系が好きだった。デヴィッド・ボウイロキシーTレックス、フリートウッドマック・・・。
モンティ・パイソンズ(「空飛ぶモンティ・パイソン」というタイトルで東京12チャンネル系で放送し、我が家の属する地方都市部でも放送があった)が死ぬほど好きだった中・高校生としては、アメリカ人よりイギリス人に妙な親近感を覚えて当然だったかもしれない。
たぶんビートルズのおかげだとおもうが、当時英国ものは、洋もの音楽のメジャーだからという雰囲気が強く、とりあえずなんでも紹介されていた。と思う。クイーン、ツェッペリン、ディープ・パープル、キングクリムゾン、ピンクフロイドELP。その他大勢。だいたいプログレ、ハード・ロックのバンドで、これらのほぼ同年代(小学校だったら全員1年生から6年生の中に入る)の英国ロックバンドの影響を大きく受けたのだが、何でも来いの中・高校時代を経ると、しだいに自分の中で好き嫌いが生じてくる。


ビートルズについていうと、はやはりどんなに支持されようと、勝ち抜けしたトップ・ランナー。もう新譜の出ないグループに10代の少年は興味が持てなかった、というところか。
またビートルズと逆で、毎年新作を作る大半の英国ロックバンドは、LP1枚ないし2枚聴けばもう、いいやという(正確にはそれぞれ2枚持っていれば十分な)程度だった、結局は。(ちょっとエラそうかも)
だからいっぱいLPは持ってるのである。とりあえず買ったのだ。
だけど近頃アンプを買い換えて、じゃ今聴いているかというと、ピンクフロイドくらいか。聴いてみたのは。
今はブルースとR&Bとストーンズのレコードを聴いている。嫌いになったわけではなくて、どうせ聴くならストーンズがいいなぁ、ということだ。


ローリング・ストーンズが70年代半ばから出したアルバムは、これはもう他の英国ロックバンドとはまるっきり違う音楽をがてんこ盛りだった。72年の「メイン・ストリートのならず者」から「山羊の頭のスープ」(73年)、「It's Only Rock'Roll」(74年)、そして「Black & Blue」(76年)と78年の「女たち」。この5枚のアルバムによって、ぼくの高校時代はストーンズだらけだったといっていい。
ところで、ストーンズの出所はR&Bだとか、ブルースだとかさらにはゴスペルだとかライナーノーツ(その昔、日本版LPレコードには歌詞カードがおまけでついていて、その裏に印刷された説明書というか取り扱い注意メモのようなもの)には書いてある。で、これが当時なんなのか分からなかった。JAZZのレコードはたくさんあるけど、R&Bなどの黒人音楽のレコードは田舎にはなかったのだ。


R&Bは大学にいって東京で初めて聞いた。極東放送(FEN:現在米軍放送・AFN)で。FENは高校のラジオマニアが短波ラジオで受信してたけど、FENがなんたるか知らなかったので、聞かせてもらっていない。
今思うと大学に入ってからソウル・ミュージックをはじめて聴いてよかったのかも。周りに詳しいやつがいたから。
その詳しい友人の一人に、ストーンズの「サティスファクション」とオーティス・レディングのカバーの両方を聴かされたときの、なんというか、その、なんだか良く分からないけど「すげ〜なぁ」としか言えない驚きと感動。
そういうのを知ってる友人はすげぇーし、オーティスの歌のフィーリングも驚きだし、ストーンズもやっぱすげーし、としばらく熱に浮かされたような状態だったなぁ。今頃ヤツは何してるのか。いいやつだったなぁ。あの時テイクアウトの吉野家の牛丼食ったけなぁ。とか思い出す。


26歳で事故で死んだオーティス・レディング。なかでもやっぱり一番好きかも。事故の直前にレコーディングされたという、
(Sittin' On) The Dock Of The Bay Otis Redding

死んじゃってからでたので、この曲を歌っているオーティスの映像はないのである。


名もない波止場の片隅、さびれた船工場
オイラすることなくって、座ってんのさ
座ってたら朝日が昇ってきたよ、
日が暮れるまで座っていよう
船についてる浮き輪がぷかぷか
どこかにいちゃった、ああ、まただ
お〜い、どこサ、いくんダぁ


なんてしみじみ。いい歌ッス。