魂(ソウル)の来し方

タイトルはピーター・バラカン著「魂(ソウル)のゆくえ」のモジリである。
かの本は新潮文庫に入ってたはずだけど、今は絶版かい?
だとしたら不幸な事態なんだけど、復刻したって話聞いてませんでしょうか。


読んだら取上げてる曲を聴きたくなるし、薀蓄のネタ本としてもいい本。
なによりもすっきりしたんだよね。ブラックミュージックの成り立ち、歴史やトピックなどはこういった著者にまとめてもらわないと英語の文献にどうあたっていいかわからないわけで、なぜだか好きなんだ、こういう音楽が。と感じている自分を妙に思う一方で、この感覚は間違っていない、おれってそこそこいいセン行ってるゼ、という根拠を示してくれた。そういう本である。


ピーター・バラカンは80年代後半に魂のゆくへを書いた。どこへ行くか心配して書いたのじゃなく、魂(ソウル)を持つものである我々が変質するのか、10年後、20年後にも我々はソウルを持つものだろうが、80年代の魂はそのときどう扱われているのか?
その辺を考えようとして過去から現在のソウルを揺さぶる音楽を聴きまくった感想を書いている。
まぁ、上等じゃないね。いまパラリと読み返して当時だっていろんな状況や事情は複雑だった。ピーター・バラカンの感覚を全てOKとすることは難しいし、聴いてみても同感できないものもある。好き嫌いは論じても仕方がない。
しかし、それらを考慮してもたぶん彼と同じようにソウルが高揚する感覚を共有できる(から、いい本だと評価されてきた)。


他人との共有感覚は瞬時のものだったけれど、スピリッチュアルな言い方になるが確かに魂の共有はできた。そう思ってもいい体験ができたことは覚えている。
確実なのは今より退屈ではなかったことだ。

ピーター・バラカンの魂・ソウルの話は、一番解放される感覚を覚えるのは音楽、とりわけゴスペルからはじまりR&B、ソウルミュージックなどの黒人音楽であり、自分のソウルが高揚することが重要であるということになる。
確かにその通りで、何も感じない音楽が得てして昔の曲のカバーだなんてとき、オリジナルを聞いたら全然いいと感じることがある。


音楽の中にソウルを感じると言うのは高揚感や開放感を聞くものに与えるという基準が成り立つが、これはジャンルや演奏を問うことはない。同じ人の演奏でも感じるときと感じないときとが有り得るし、人は感じても自分は感じないこともある。だから感じなければならないと言うこともない。


ということでぼくは「行くへ」を考察するほど論理的でないし、まとまった知識もないのでソウルの来し方を探ってみようと思い立った。
24時間の中の4〜5分間というわずかな時間。ほんの一瞬がもたらす開放感。
これから出てくるかもしれない音楽に求めるより、これまでの中から探し出すほうが手っ取り早いってこと。
その辺を集めて並べていくと、なにか見えてくるだろうか。


Aretha Franklin "Night Life"

アレサ・フランクリン これとかってやはりぶりぶりソウルを揺さぶられます。


都はるみ 「惚れちゃったんだよ」

■昭和40年代の都はるみをなんとなく覚えている。子供からみても独創的というかオリジナルというか、
歌番組に出てきて異質な空間を繰り広げるので、あっけにとられました。なぁ。