今週のお題「受験」

今週のお題「受験」に挑戦してみた。


高校三年のときに共通一次試験というのを受けて、足切り食らうのは目に見えてたので、二次試験はスルーした。
高三の1月。寒かったのぉ。故郷は。
で、共通一次を終えたあと、高校に授業を受けに行った記憶が無い。
おそらく少しくらい、数日、週に二日くらい?いったはずだと思うのだが。ほんとに記憶が無い。はっきりいってまったく予備校みたいな高校だったので、高三の三学期は受験のために出席しなくてもお咎め無しだったようーな気がする。
まぁおぼえてないのではっきりしないが、共通一次の後は受験勉強と受験準備ということでほとんど自宅にいた。それで「笑っていいとも」を見てた記憶が蘇った。

さて、1月の末、
最初の私立大の受験のため東京に出かけた。
新幹線開通前年だったと思う。特急に乗って。
東京タワー近くのビジネスホテルが田舎もんの受験生を割安で泊めてくれた。まだ明るいうちにチェックインしたが、ホテルの部屋ですることがない。
受験生なのでどこか行くとか見物するなどの余裕はない。
今思い出したが朝食券をフロントで受け取ったのだから、1泊朝食付きのサービスだった。だから夕食は自分で摂ったはず。しかし、到着から夕食までの記憶が無い。おそらく駅弁を東京駅で買って部屋で食べたのだと思う。
こういった10代男子の傍目には滑稽な物悲しさと要領の悪さは、涙モノである。いつからハッタリが使えるようになり、他人の目を無視出来るようになり、偉そうにヒトにものを頼めるようになったか。
それは、その後女の人と十分付き合えるようになってからだと思う。


だが、18歳の受験生はホテルで夕食を頼むとか思いもよらなかった。ましてや、たった一人でラーメンを食べに行くことも出来なかった。
することもなく、家にも電話せず。部屋の中でじっとしていた。
そして、8時を過ぎても9時を過ぎても11時なっても人通りも車の量も減少せず、店の看板も煌々と輝く東京の街をホテルの窓からぼやんと眺めていた。


前泊で受験に臨んだのだが、試験勉強などやる気も起きずしばらく外の夜景を眺めているしかなかった。
一人つくねんとしているうちに、身体にまつわりついていた田舎の空気が離れていき、東京の空気に入れ替わった気がしてきた。だからどうということもないのだが、なんとなく気分が軽くなった気がして、街路灯の明かりの中を行き交う東京の人達に近づきたくなり、ホテル前の通りに出た。
受験生が11時過ぎに外へ出ようとしても、フロントの人は目の端に私の姿を捉えただけで無関心であった。
ホテル前の通り100メートルほど行っては戻るという、なにをしたいのか全くわからない、意味のない行動を地方都市の少年は繰り返した。


少し先に地下鉄の入り口があり、そこは交差点で角には書店があった。まだコンビニなど普通にある頃ではなかったからか、書店はまだ開いていた。
書店の明かりと地下鉄入り口の明かりに照らされて、女の人が一人、つづいて3人組みの大学生のような若い女の人たちが歩いてくる。
そこでふらふらしてるだけではダメだと思い、目的があるように歩くため、書店を目指した。田舎っぽい高校生がどんなふうに歩いていようが、女の人達は気にするわけないのだが、18歳のわたしの自意識は過剰だった。
こんな時間に一人で歩いている自分には、本屋に用事があるのだ。そうカッコつけなければその場にいられなかったのだ。悲しい。けど笑っちゃうよね。

それで、本屋に入ればこんな時間に来たのだから明確な目的がなければおかしい。でなければ店員が胡散臭く思うと、そこまで自意識過剰だった自分がなつかしい。しかし、滑稽だな。

購入したのは「週刊プレイボーイ」と懐かしや「GORO」の雑誌2冊。何やってんだ、おれ!

その後大学生になったオレなら、その雑誌は部屋に捨て置く。ところが受験生のボクは、ホテルのヒトにあいつこんなの買い込んでと笑われるのを恐れ、バックに入れて持ち歩き、ようやく捨てたのは故郷の駅のゴミ箱だった。



2月中に2つ東京で受験するため再上京した。高田馬場で試験を受けたが、そのときは一人でホテルというのがあまりにもすることがなく、というか何もできないチキンな自分に嫌気が差して、田無の親戚の家に泊まった。
親戚には、初回の受験を一人でホテルから受けに行ったというのが、妙に話題となり大したもんだとほめられて赤面した。ただ、ほめられたからじゃないが、少し一人きりという状況にも慣れ、度胸はできた。
それがいい方向に行かないのが男子高校生というもので、田無の親戚の家からまっすぐ、同志社を受けに京都にいったときは、新幹線のビュッフェで女子大生ら(京都の大学)に声をかけられて大胆にもまともに受け答えし、聞かれもしないのに受ける大学を喋り出した。
「まぁ、それじゃ春から京都でうちらとおなじ学生さんね」
などとおだてられて舞い上がった。
すっかり春から京都のとあるキャンパスを歩いているハズと妄想が膨らんだ。
ホンモノの女子大生と会話したことで、大学生っていいなぁ、特に女子。と、飛躍してしまった。それ自体悪いことではないけど、悪いこともしてないけど、世の中、受験というものは甘くはない。同志社の試験は散々であった。舐めてた自分を反省した。
舞い上がったがすぐ墜落。春から京都で学生生活を送ることはなかった。


私の受験の思い出は、二つ歳上の京都の女子大生らと話したこと、か。
いや、ひと目を気にしすぎの少年が、はじめてクラスメート以外の同世代の女の子と話をして、大げさに言えば自然と家族から離れていく、親との距離のとり方を意識し始める、はじめのきっかけだったかもしれない。
親兄弟、幼稚園から一緒の田舎の友達などは、記憶の始まりからいた。しかし、これからはそうではないヒトとばかり、生い立ちに共有するものがなく当然親兄弟など知りもしない目の前の一人と出会っていく。そういうことの一番初めだったのかと思う。