最初の夏がおわり・・・

地震は毎日やってくる。
ほぼ忘れないうちにやってくる。
震度4程度、揺れてる時間が30秒くらいではなんとも思わなくなってきている。
巨大な余震がいづれ来るだろうといわれて5ヶ月以上過ぎた。
大きな余震は数えきれないほどあった。


夜揺れると昼間と違い、慣れと警戒が交差するが、次第に警戒へと傾いていく。
もう慣れたぜ、しかし、どこかで。この揺れが更に大きく、長くなるのでは。
警戒心に恐怖の色が混じり合ってくる。
揺れが収まるとほっとし、あの悪夢の再現にならず安堵する。


今思い出してもあの地震は、揺れの激しさより揺れていた時間の長さが恐怖だった。
ほんとうにいつ終わるのか、もう勘弁してくれ。それでも終わらなかった。
1分を経過しても終わらない。まだ揺れるのか。逃げ出せるのか。
会社のビルの4階で、掴まっているはずのスチール棚とともに振り回された。
固定されてるはずの棚がぐにゃぐにゃに揺れた。
逃げ場をなくしたな、逃げ時さえなかったな。ビルが壊れるか地震が収まるか覚悟しなければと顔面は蒼白だったと思う。


こんな地震を体験するまで。なんの根拠もないが自分は助かる(ハズ)と思い込んでいた。自分がヤバくなる、ということが想像できなかった。


しかし、今度同じような地震があり、火災があり津波があり、原発が吹っ飛んだとき。
生き残れるのは運だな。
いまは確信持ってそう思う。


体験した経験値の分、生き残る対処や逃げる準備はある。そこでベストを尽くすだろうことも間違いない。
地震で得たというのはそのこと。地震前は(おれは)運良く助かるという飛躍したイメージでのほほんと生きられたが、ベストを尽くしたとしても生きてることは好運かもしれない。
そんな状況を自分で経験してしまい、そこからくぐり抜けてきた人もかなり見てしまった。
多くの人が死んでしまったが、悲しみは一刻。しまい込んだ悲しみは澱のよう沈んでいるが、そこから沸き上がるのは今は悲しみではなく不安。憤りとやるせなさを練りこんだ不安である。
生きてる人々は明日のことを考えて今日を暮らさざる得ない。


この先いいことあるのか。
やり直しきかないだろう!
もう、どうやってももとに戻せない。


実は、リセットできない現実。などにリアリティはなかった。あの日までは。
連綿と続く昨日、今日、明日はワンセット。リセットかけても代わり映えせず、同じことが繰り返されるだけだった。だが、そういう現実が続いているのはたまたまだったのだ。
突然、地震は現実を変えた。昨日との繋がりを絶ち切った。
それ以来、どう取り戻すかより、どうやって明日を見るか。昨日と明日が別物となった。そうなってしまった。
昨日の暮らしを奪われ、見通せたはずの明日も消え失せた。繰り返すが明日も今日と同じ(くらい)というのは、たまたまに過ぎなかったのだ。
これまでの積み重ねが明日まで伸びていた。道がなくなり、かわりに見えるのは惨憺たる現実。日々顕になる焦燥と不安。


電気が復旧し携帯が使えるようになり、水道も出るようになった4月の初め。
もとに戻ったとは一向に思えなかった。
新たな出発などどこにもなかった。
自分でなにか変わったと、自覚したが。
自分も周りも世間も風景も変わり、変わったと思えた。
個人的に自分だけ変わった気がしたのではなく、大勢の人が明らかに変わった。
何が。変わったのは何か。
現実。どうでもいいようなフワフワしたものだった現実が、鋭利なエッヂをもつ危険なものだということ。現実と不安が重なりあっていることを。

もはや、テキトウにのほほんと生きられるあいまいな現実はなくなった。
この現実のエッヂに沿って、リアリスティックに、自分も強度を高めていくほかない。

「明日は明日の風の中を 飛ぼうと決めた
  バラ色の日々よ バラ色の日々よ」